補足情報その2

岩井勇一郎さん(@仙台三高24回生)からいただいた、応援歌の元歌などに関する情報です。

第一応援歌
 仙台二高でも、「二中は何処」の名でこの旋律が使われています。ただし二節短く、「堅き心の…」の部分から始まります。なお大正4年に、旧制第二高等学校で「敵は幾万」を原曲とする応援歌があり、(第二部工科一年応援歌)そこから普及した可能性はあります。
第三応援歌
 すでに一関一高飯澤氏が指摘のように、元は旧制第一高等学校柔道部部歌、「時乾坤のうつろひに」。以下に「寮歌は生きている」にある歌詞を一、二番のみ記します(元は五番まである)。
時、乾坤のうつろひに
向が岡の春闌けて
花のみ薫る来し方の
二重の関を見かへれば
一すじ冴えて行く水に
生ける響ぞたぎりゆく
春千山の花ふぶき
秋紅葉の雨の音
濁世の影を遠くして
柔の教にひそみ行く
聞かずやここに博撃の
音鼕鼕とたえざるを

第五応援歌
「瓔石みがく」ではなく「瓔珞みがく」が正当。また桜生会ではなく、桜星会です。
ストーム凱歌
 元は旧制第二高等学校対高工戦凱歌「肥馬むち打たせ」。「戦い勝てり」は歌詞の後半にあたり、正しくは「喜びに満つ五城楼」です。(五城楼は仙台の別名、関取五城楼は、ここから名を取っている)。
 歌そのものは、仙台一高、仙台二高、仙台三高、仙台向山、仙台西、泉館山、泉松陵の各高校、仙台市立上杉山中(だったはず)でも歌われています。また、一関方面にも広まっているはずです。
 ただ問題なのはおそらくどの高校でも本来の旋律では歌っていないことで、仙台では正しく残らず、盛岡一高でほぼ正確に残っているのは仙台人として少々残念です。
 「君が御名」のところのみ異なるものの、「光涼しく」以降がほぼ完全に残っているのは見事です。この部分がどの高校もめちゃくちゃなのですが。

なのですが。