校歌、応援歌の原曲

川村@つくばさんから頂いた、校歌および応援歌のもと歌情報、および変遷です。

 

校歌

歌詞 曲の演奏
原曲
「軍艦」
作詞 鳥山啓 作曲 瀬戸口藤吉 明治33年
変遷
明治41年制定
作詞 伊藤九万一(明治42年卒) 選曲 佐香貞次郎(明治43年卒)
明治45年改正案
校長 江崎誠より(三番の歌詞が軟弱であるとのこと)
備考
現在の校歌以前にも「立て立て友よ我が友よ…岩鷲は高くそびえたり…北上長く流れたり」などという校歌があった。

 

学生歌

歌詞 曲の演奏
変遷
平成2年時間短縮(12分→8分)

 

第一応援歌

歌詞 曲の演奏
原曲
「敵は幾萬」
作詞 山田美妙斎 作曲 小山作之助 明治24年
変遷
大正4年制定(早稲田大学応援歌より)
選曲 平野浩一郎(大正6年卒) 大正4年の運動会で使用
備考
福岡高校、見前中学校に同旋律あり。

 

第二応援歌(凱歌)

歌詞 曲の演奏
原曲
「都ぞ弥生」
作詞 横山芳介 作曲 赤木顕次 明治45年
北海道帝国大学明治45年度 恵迪寮寮歌
備考
「都ぞ弥生」は旧制一高の「嗚呼玉杯に花うけて」と早稲田大学校歌とともに三大校歌と称される。

 

第三応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
大正11年制定
原題「鯨波声(ときのこえ)」
昭和55年
「桂冠ここに九十年」を「百星霜」に改定
備考
北海道北見北斗高校旧校歌と同旋律。

 

第四応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
大正7年制定
早稲田大学野球部来校の際
備考
岩泉高校に同旋律あり。

 

第五応援歌

歌詞 曲の演奏
原曲
「瓔石みがく」(北海道帝国大学寮歌)
北海道帝国大学桜生会歌との説(白堊22号切替典宏による)
変遷
大正12年制定
作詞 高橋六介(大正14年卒)ら文芸グループ
昭和55年
「九十の星はうつろいて」を「幾多の〜」に改定。

関連情報その2
 

第六応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
制定は昭和30年以前。
当初は肩を組むだけだった。
備考
福岡高校、花巻東高校に同旋律あり。

 

第七応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
制定は昭和30年以前。
当初は手振りがなかった。

 

第八応援歌(壮行歌)

歌詞 曲の演奏
原曲
映画「加藤隼戦闘隊」より借用
「加藤隼戦闘隊」
作詞 田中林平 作曲 陸軍軍楽隊
変遷
昭和30年制定
作詞 森荘祐 作曲 吉田弘
七十五周年記念に一般公募。
当時はイニング交代にも使える速い曲だった。
備考
「加藤隼戦闘隊」の四番一行目に「干戈交ゆる幾星霜」の一節がある。

 

第九応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
昭和30年制定
作詞 多田研三 作曲 毛藤光正
七十五周年記念に一般公募。讃歌として承認。
昭和45年
合唱編曲(斎藤有による)がある。
備考
当初は短調だったが新時代に即し、長調へ転調。

 

第十応援歌

歌詞 曲の演奏
変遷
昭和54年制定
作詞 瀬川規(昭和55年卒) 作曲 石原真(昭和54年卒)
白寿祭記念事業として一般公募。発表は白寿祭。

 

鉄壁白堊城(駅頭壮行歌)

歌詞 曲の演奏
原曲
「青年日本の歌」
作詞・作曲 三上卓(海軍少尉) 昭和5年
急進青年将校によって歌い継がれ、二・二六事件時には「昭和維新の歌」として行動派軍人によって歌われた。
変遷
平成2年、時間短縮(10分→6分)
備考
制定当時は4分程度だった。

 

讃歌

変遷
昭和三十五年制定
作詞 佐藤英太 作曲 下総皖一(当時東京学芸大教授・作曲家) 補作 佐伯郁郎
新時代に即し、第二校歌作成案によって作成
「讃歌として」創立80周年記念として一般公募

 

ストーム凱歌

歌詞 曲の演奏
備考
もとは単に「凱歌」と言った。

 

土人踊りの歌

歌詞 曲の演奏
原曲
「ノナ・マニサ」
インドネシア民謡
インドネシアでは現在でも愛唱されている。
変遷
選曲 田村喜八(昭和24年卒) 竹原由雄(昭和25年卒)
土人おどりの原型もこの二人が中心となって作った。

盛高数え歌

原曲
「大漁節」千葉県民謡

盛一五万節

原曲
「五万節」ハナ肇・谷啓・植木等
作詞 青島幸男 作曲 萩原哲晶 昭和37年

デカンショ節

原曲
兵庫県民謡
備考
「デカンショ」とは「デカルト・カント・ショーペンハウアー」のことである。

柔道部部歌

デカンショ節である。

深山には(音楽部部歌)

原曲
日本古謡
作曲 信時潔
備考
盛一オリジナルではない

無線部部歌(じゃじゃめん讃歌)

原曲
第三応援歌

鉄道唱歌

原曲
「鉄道唱歌」
補作詞 大和田建樹 作曲 多梅稚

北上川昼曲(剣道部部歌)

変遷
昭和三十七年制定
作詞・作曲 福田隆

野球部部歌

原曲
旧制第一高等学校寮歌
変遷
明治三十六年制定
作詞 菊池彦一郎(明治35年卒) 選曲 菊池彦一郎
平野正朝(京都大学生)との説も(校友会雑誌第六号明治三十七年三月)

水泳の歌

変遷
伊藤あい(盛岡高等女学校第八回卒業生)による(校友会雑誌第七号明治三十七年十一月)。

一郎(明治35年卒) 選曲 菊池彦一郎
平野正朝(京都大学生)との説も(校友会雑誌第六号明治三十七年三月)

水泳の歌

変遷
伊藤あい(盛岡高等女学校第八回卒業生)による(校友会雑誌第七号明治三十七年十一月)。